2009年11月14日

『貧乏はお金持ち──「雇われない生き方」で格差社会を逆転する』



橘玲ファンの期待を裏切らない良書ですが、本書を読んですぐに「雇われない生き方」を実行に移せるかといえば、日本ではまだ無理だろうなという印象です。
この世界大不況が私たちに教えてくれたことがあるとすれば、それは、国や会社はなにもしてくれないということだ。アメリカ大統領にオバマが就任しても、日本の政権党が自民党から民主党に替わっても、魔法のように景気を回復させられるわけじゃない。グローバルな市場の中で、国家ができることはほんのわずかしか残されていない。それも、しょっちゅう失敗する。だったら、自分のことは自分でなんとかするしかない。
その通りです。

市場経済において私たちがお金を獲得する方法は、たった一つ:
資本を市場に投資し、リスクを取ってリターンを得る。
投入する資本が人的資本ならリターンは給料などであり、金融資本ならリターンは利子や配当などです。
本書では人的資本を高めるための「自己啓発」という戦略について扱わない理由の一つとして、
みんなが同じ目標を目指せば少数の勝者と大多数の敗者が生まれるのは避けられず、ほとんどのひとが敗者になってしまうのだ。
 そこでこの本では、お金と世の中の関係を徹底して考えてみたい。なぜそんなことをするのかって? 自分が生きている世界の詳細な地図を手に入れることができれば、自己啓発なんかしなくても、ほかのひとより有利な立場に立つことができるからだ。
と書かれていました。これは真実だろうと思います。
 マイクロ法人をつくれば、ひとはビンボーになる。そしてそれが、お金持ちへの第一歩だ。そのうえ”雇われない生き方”を選択すれば、クビになることもない。
これが何を言っているのかサッパリわからない人は特に、本書を手に取る価値は十分にあると思われます。
現在では、誰でも気軽に資本金なしで株式会社を設立できるようになった。これはまさに、会社法のコペルニクス的転回だ。
私は本書を読むまでこの事実を知りませんでした。資本金なしでOKになったのはつい4年ほど前のことのようです。この分野は頻繁に法改正があるので、今後改悪の方向に向かわなければいいのですが…。
 税金と並んで家計に大きな影響を与えるのが年金と健康保険だ。サラリーマンの場合、いまでは税負担よりも社会保険料のほうがずっと重くなってしまった。これまで厚生年金や組合健保に加入できることがサラリーマンの大きなメリットだと考えられてきたが、この神話は10年以上前にすでに崩壊している。
恥ずかしながら、私も会社を辞めるまではこの神話を信じていました。
 制度上、日本には二種類の年金制度と健康保険制度があり、一方は他方より有利である。
多くの場合、
国民年金>厚生年金
国民健康保険>組合健保
です。もちろん所得や扶養家族の数によっては逆転するケースもありますが。

本書では、いわゆる「サラリーマン大家」について、
マンションやアパートは資金繰りに行き詰ったときにすぐに換金できないから、キャッシュフロー的にはきわめてリスクの高い資産運用法だ。
とバッサリ斬っています。

また、『「無税」入門』に書かれていた節税法について、本書では
サラリーマンが税コスト引き下げのみを目的にするのならこの方法がもっとも有効だろう。
と評価しています。

本書の真骨頂は「あとがき」で、こちらに全文が公開されていますので一読の価値ありです。特に自由と自己責任について書かれた次の部分には、完全に共感しました。
近代は、自由を至上の価値とする社会である。私たちは誰の強制も受けず、自分の人生を自分で選択することができる。これが私たちの生きている世界の根源的なルールで、何人たりともそれを否定することは許されていない(ひとを奴隷化する者は社会から排斥される)。

ところで、自由はなにをしてもいいということではなく、ひとはみな選択の結果に対して責任を負わなくてはならない。自由と責任は一対の概念だから、原理的に、責任のないところに自由はない。

派遣や非正規雇用の問題を語る際に、彼らの自己責任を問うことを許さないひとたちがいる。私はずっと、この議論に強い違和感があった。相手を責任の主体として認めないということは、奴隷か禁治産者として扱うことだ。ひとが尊厳をもって生きるためには、自分の行為に責任を持たなくてはならない。

自己責任を否定するひとたちは、決まって国家や会社やグローバル資本主義を非難する。だが、理不尽な現実をすべて国家の責任にしてその解決を求めるのはきわめて危険な考え方だ。国家とは、盲目的に自己増殖するシステムである。マスメディアが“危機”を煽れば、国家はそれを格好の口実にさらに肥大化しようとするだろう。国家が巨大化すれば、その分だけ私たちの自由は奪われていく。

私たちは自由でいるために、自分の行動に責任を持たなくてはならない。自己責任は、自由の原理だ。それを否定するならば、残るのは無責任か連帯責任しかない。すべてを国家の連帯責任にするのは、「国家主義」以外のなにものでもないだろう。

もちろん、だからといって職を失った若者たちにすべての責任を引き受けさせるのは酷である。“ロスジェネ”を生み出したのは、終身雇用と年功序列に固執するこの国の差別的な雇用制度だ。同じ職種には同じ賃金を支払う「同一労働同一賃金」はアメリカはもとよりEU諸国でも当然とされているが、日本ではいまだに勤続年数によって労働条件が決まる。こうして給与の高い中高年層が企業に滞留していくが、厳しい解雇規制によって経営が破綻するまで彼らを若い労働力と交換することは許されない。

若者たちの自己責任を問うのであれば、解雇を自由にして、誰もが対等な条件で労働市場で競争できるようにするべきだ。だが既得権を握って離さないひとたちは、自分たちに不利な“公正な社会”の実現を嫌って、国家に責任を転嫁し三十代の若者に生活保護を受給させて差別を温存しようとする。こうして彼らの人生を腐らせていくのだから、これは偽善というよりも犯罪である。


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2009年11月14日(Sat)17:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月11日

『欲しがらない生き方 -高等遊民のすすめ-』



「高等遊民のすすめ」というサブタイトルに引かれて読んでみた本です。
まえがきに「高等遊民になるための20ヵ条」があり、著者が描く高等遊民像がどんなものかわかります。自分にどれだけ当てはまるか見てみました。

高等遊民は
○お金持ちよりも時間持ち、物持ちよりも心持ちをめざす
○世俗の欲望を半分捨てる
○いつも”ほどほど”をめざす
×お金がなくてもいつも楽しい (より少ないお金でも人生を楽しめるというならわかりますが、本当にお金が「無い」人生が楽しいわけがない…)
○行列してまでモノを望まない 
△ブランド品は持っていないが電子辞書を持っている (どちらも持っていません)
○スケジュール帳など持たない
×義理と人情に弱い
△どのような人とも対等に付き合う (価値観が合わない人とはそれなりの付き合いに…)
△人から与えられるより与えることを望む (どちらも望みません)
△いつも笑顔でグチや不満をいわない (喜怒哀楽自体が少ないので)
○人にたかって飲食などしない (高等遊民でなくても人として当たり前では?)
○ボロは着てても心は錦 (ファッションに全く興味ナシ)
△正義を愛しウソは洒落でしかつかない (「正義」という言葉は胡散臭く感じます)
○形式よりも中身を大事にする
○儒教思想よりも老荘思想に親しむ
×信条として新渡戸稲造のクリスチャン「武士道」を愛する
×司馬遼太郎と山田風太郎を併読する
○なによりも知的好奇心を愛する
○誰からも束縛されない自由人である

まあこれだけ当てはまっていれば、同じ高等遊民の看板を掲げるブロガーとして問題ないですよね。
極論するなら、今日のわれわれを取り巻く多忙はまさに諸悪の根源といってもさしつかえないほどである。だからこそセネカはいうのだ。いい人生を送ろうと思ったら「多忙から開放されろ」と。
その通りです。極論とは思いません。
 仏教語では他と比較しないことを「無分別」といい、すなわち唯我独尊であることを絶対的幸福観としているが、その真髄は「私はこれで十分」という「知足心」(足ることを知る心)である。(中略)
 だからこうした絶対的幸福観を持っていない人は、いかに金持ちになろうと、どんなに立身出世しようと、いつまでたっても幸福にはなれないのである。
同意します。

アメリカの作家、ヘンリー・D・ソローが、高学歴でありながら定職につかない生活を非難されたときに返答した
「みなさんは仕事、仕事というが、われわれの多くは大切な仕事などほとんどしていない。カネを稼ぐだけなら、かならず稼がせてくれた制度に身を売ることになる」
という言葉にも大変共感しました。

自由時間の使い方については、
とはいっても、最初から気張って何かをやることはない。自由な時間が持てたとなると、即座に「何か」をしなければならないと思う人は、貧乏人根性であり、「何もしない」というのも立派なストレス解消策なのである。
という考え方に賛同します。
このような自由な立場にいることがどれほど幸せかは、会社員時代は当然のこと、リタイアして2年以上が経つ現在でも、ずっと実感していることです。

いわゆる「仕事人間」について、
 最近つくづく思うのは、たとえ役員や社長になった人でも、人間的に面白みのない男たちが多くなったということだ。学歴や地位がいかに立派でも、長年の人生で培った仕事以外の趣味や教養というものがないと、リタイアしたあとでも仕事の自慢話ばかりで、感心して聞くような話はまったくない。
 彼らの話はいつも決まっていて、まずは過去の自分の手柄話、ついで病気と健康維持の話、ゴルフ、食い物、子供自慢に孫自慢といったものだ。(中略)ましてや「××のステーキは最高だった」「焼酎は○○が最高だな」などと、さも通ぶって語られるほど気色悪いものはない。
 たまには面白かった本や映画の話をしたらどうだと思うのだが、こういう人に限って本も読まなきゃ映画などまったく観ていない。これでは若者たちの雑談の延長線上であり、まったく大人になりきっていないのである。かつて”仕事人間”といわれた人ほどこの傾向が強い。
このように痛烈に批判しており、著者の感性には私も共感するところではありますが…。まあこればかりはどちらが良い悪いの問題ではなく、興味の対象がまったく異なる人間同士で話をしてもお互いにつまらない、という当たり前のことかと思います。時間があるからといって誰とでも付き合うのではなく、やはり相手はじっくり選ばないといけないという教訓を与えてくれます。
 じゃ、人生とはなんだ、と人生経験の浅い若者ならそう聞き返したくもなるだろう。だが、われわれはすでに知っている。人生とはどっちに転んでも、たいしたことはない、ということを。社長になろうと一生ヒラ社員で終わろうと、どんな職業に就こうと、その立場立場に悩みがあり、苦労と喜びがあり、トータルで見れば結局は同じことなのである。要は、違う世界を知らないがゆえのないものねだりであり、その立場になればこうじゃなかったはずだと思うものである。
実際には転び方次第でけっこう大きく振れるのが人生であり、「結局は同じ」とまで楽天的に考えるのは問題があるような気がします。しかし、必要以上に悲観して悩む人の場合、このような考え方がちょうどいいのかもしれません。

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2009年11月11日(Wed)00:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月01日

10万ページビュー

数日前に達成したようです。ここまで17ヶ月かかりました。
いつも読んでいただいてありがとうございます。

記事別のPV数トップ10は次の通りです。
1位 早期リタイアした理由 1,715
2位 無職生活開始〜 by ぬこ 817
3位 Google Chrome の欠点 774
4位 iPhone 3G の最低月額料金 747
5位 早期リタイアまでの道のり 709
6位 ポータブルナビ Garmin Nuvi250 Plus 606
7位 米国Interactive Brokers証券 589
8位 『「無税」入門―私の「無税人生」を完全公開しよう』 570
9位 「サラリーマン債券」は債券ではない 560
10位 リタイアに「不労所得」は必要か? 553

一番人気の記事はGoogleで「早期リタイア」で検索すると最上位に出てくるためと思われますが、この記事のきれいな右肩上がりの資産残高推移予測、とんでもなく外していて今となってはお恥ずかしい限りです(苦笑)。このグラフのように毎年コンスタントにプラスの利回りが実際に得られるはずもなく、肝心の序盤で大きなマイナスリターンが出るとやはりインパクトが大きいということを身をもって知りました。もはや資産を余らせて死ぬ心配よりも、近いうちに再び大きなマイナスリターンが出たら逃げ切れないという心配をしなければならない状況と言えるでしょう。

後に続く早期リタイア志向の方は是非この教訓を生かし、自分がこのような心配にも耐えることができるかどうかを慎重に見極めた上で、余裕のある計画を立てていただければ幸いです。

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2009年11月01日(Sun)21:19 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月25日

『脱「ひとり勝ち」文明論』



ここで言う「ひとり勝ち」は、「豊かさや、経済力などが、先進国の、世界全体から見たらごくごくわずかな人たちに集中していること」を示す言葉
だそうです。そして、
「化石燃料をエネルギーにした一回目の工業化の時代」のあとには、「太陽電池をエネルギーにした二回目の工業化の時代」がくる
そのことによって、
 世界中の約70億人の人たちも、「20世紀のアメリカ人と同じように裕福な生活」を実現できる。
という、一見夢のようなお話です。

しかし本書によれば、現時点の太陽電池の発電効率のままでも、大量生産によって価格が現在の1/4に下がりさえすれば、従来の発電コストよりも安くなるところまで来ているそうです。価格を1/4にするには生産量を100倍にする必要があり、決して低いハードルとは言えませんが、そこを乗り越えれば爆発的に普及が進み、さらに価格が下がる好循環が加速して、最終的にはエネルギーコストがタダ同然にまで下がっていく・・・というところまで想像が膨らみます。そうすると、前述のような世界も決して夢物語ではないように思えてきます。

数ある自然エネルギーの中で太陽電池(太陽光発電)が主流になる理由は次の通りです。
@世界中のどこでも使える(公平性)。
A未来にわたって使うことができる(持続性)。
B太陽電池だけで世界のエネルギーを全てまかなえる(最大効果量)。
C資源が無限にある(資源制約)。
D普及しても新たな問題が発生する心配がない(新たな問題)。
E他のエネルギーを得る方法に比べて、電気代がものすごく安い(限界コスト)。
F使うのにむずかしい技術がいらない(利用の容易性)。
バイオ燃料は風力発電や水力発電に比べても劣っている点が多いので、太陽電池の比ではありません。いずれ消えてゆく運命にありそうです。

地球温暖化については、次のように述べています。
高い経済成長のせいで、あるいは進みすぎた科学技術のために、また、過度に裕福な生活のせいで、温暖化が起きているというわけではないのです。
(中略)
問題は、せっかく、20世紀なかばからいまにかけて、量子力学を基盤として、本当の意味で新しい技術が生まれているのに、それを使わないまま、100年以上も前の科学的知識にたよった技術を使い続けていることが問題なんだ、ということなのです。
しかも、むしろ、新しい技術を使ったら、温暖化はなくなるどころか、さらに、エネルギーが行きわたって、人類は裕福になる、世界中でアメリカ人と同じようにエネルギーを使えるようになる……。
そんな脱「ひとり勝ち」の文明が、すぐそこにあるんだということでもあります。
二酸化炭素は地球温暖化の犯人ではない、という野暮な話は置いといて、環境問題を解決するのに、経済成長を抑制したり科学技術を忌み嫌ったりするのは完全に方向性を誤っているということです。

全体を通じてとにかく明るい未来像が描かれており、わくわくしながら読みました。以前、『宇宙旅行はエレベーターで』を読んだときと同じような気持ちです。どうやら私は、SFの世界が現実になるシナリオに弱いようです。

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2009年10月25日(Sun)21:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月23日

『しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』



幸せのハードルが高めの人、マイナス思考をしがちな人、成功法則本が大好きな人にとっては、考え方を変えるきっかけになる本かもしれません。

10のルールのうち、私が共感した部分を挙げてみます。

第1章 恋愛にすべてを捧げない
たとえ恋愛がうまくいかなくても、それで「ほかのことはすべて意味がない」とか「私は無価値な人間だ」と考えてしまうような思考のスタイルから、自分を解放することだ。
ここは「恋愛」を仕事など他の言葉に置き換えても同じで、対象が何であれ「すべてを捧げる」という行為自体がとても危険なものだと思います。

第3章 すぐに白黒つけない
「まあ、いまのところはそう思っているのだけれど、もうちょっと様子を見てみないと何とも言えないね」といったあいまいさを認めるゆとりが、社会にも人々にも必要なのではないだろうか。そしてこの「あいまいなまま様子を見る」という姿勢はまた、自分と違う考え方、生き方をしている人を排除せずに受け入れるゆとりにも、どこかでつながるものだと思われる。
同感です。

第6章 仕事に夢をもとめない
「私は何のために働いているのか」と深く意味をつきつめないほうがよい。どうしても意味がほしければ、「生きるため、パンのために働いている」というのでも、十分なのではないだろうか。
完全に同意します。

第8章 お金にしがみつかない
たとえば本の場合、本当に『売れればよい」のだろうか。また、「売れる本が必ず良い本」なのだろうか。
ここは、書くことより売ることに重きを置く勝間氏への痛烈な批判に聞こえました。確かに最近の勝間本は内容の割には売れすぎている傾向が顕著だと思います。

第9章 生まれた意味を問わない
どう考えても「なぜ生まれたか」などという問いにはあまり深く立ち入らないほうが身のためだ
(中略)
「本当に答えが出ることはない。逆に、これだ、という答えが出たときは危険なのだ」ということは、頭の片隅にとどめながら悩むべきだ
これは本当に意味のない問いだといつも思っています。悩むことさえ時間の無駄でしょう。もし真剣にこれを問いたいのであれば哲学の道を志すべきじゃないのかなと。

第10章 <勝間和代>を目指さない
努力したくても、そもそもそうできない状況の人がいる。あるいは、努力をしても、すべての人が思った通りの結果にたどり着くわけではない。これはとても素朴でシンプルな事実であるはずなのだが、まわりを見わたしてみるととくに最近、そのことを気にかける人がどんどん減っているように思える。
いくら成功者でも、というより成功者であればあるほど、「私がいまあるのは幸運と偶然の結果であって、一歩間違えれば、私も病気になったり家族に虐待されたりしていま頃孤独な失敗者だったかもしれない」と思えなくなるのだ。
普通の人から見れば香山氏だって十分に成功者だという意見がありますが、成功者自身がこのような事実を直視し、努力主義を否定する例は珍しく、貴重なことだと思います。

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2009年10月23日(Fri)12:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする