2010年09月29日

『社会保障の「不都合な真実」』 鈴木 亘 (著)



著者本人の紹介記事はこちら。
社会保障の不都合な真実 - 学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学) - Yahoo!ブログ

前著の『だまされないための年金・医療・介護入門』よりも幅広く社会保障問題の真実を解説する本です。とりあえず年金問題だけを知りたいのであれば、前著の方が読みやすくて良いと思います。

「国民年金の未納がいくら増えても問題ない」

(中略)
最近、年金や医療、介護、子育てなど、社会保障に関する新聞、雑誌記事や本、テレビなどにおいて、右のような「楽観的な社会保障論」が世の中に多く流布されている。
(中略)
しかしながら、筆者たちのような経済学者の目から見ると、これらはあまりに荒唐無稽な楽観論だ。本書で詳しく述べるように、こうした主張は経済学から見ればすべて「間違い」であり、それを安易に信仰することは「現実逃避」に他ならない。
同意します。

現在の高齢者たちは、若いころ行った負担の何倍もの社会保障給付を受け「得」をしていることを、当然の権利と考えているようである。
そうなんです。人は基本的に利己的なのです。どんなに醜くてもそこから目を背けていては、政治も経済もうまく動かないと思います。

現在の大盤振る舞いの社会保障費再膨張路線は、戦艦「大和」のように、これまでの成功モデル(大艦巨砲主義)の終焉を飾る「時代の最後の号砲」である。
戦艦大和はぴったりのたとえですね。本当に最後の号砲を残して沈んでいってほしいものです。

前著になかった子育て分野の問題点について。
乳児一人に月額57万円
千代田区57万円、杉並区56万円、台東区55万円、大田区54万円……その他の東京都23区も軒並み40万円〜50万円台。この数字は、東京都各区の公立保育所において、0歳児一人あたりにかかっている保育費用である。年額ではない。驚くべきことに月額である。
(中略)
一方、保育料として認可保育所に入所している児童の親が支払っている費用は、後述のように平均して2万円強にすぎず、保育料でまかなえない運営費の残りは、国や自治体からの公費・補助金でまかなわざるをえない。つまりは、我々の税金である。認可保育所、特に公立保育所は、ほとんど税金で運営されている事業であるといっても過言ではない。
公立保育所がここまで高コストとは知りませんでした。
母親の多くは、年収103万円の壁を超えないように就業調整するため、月の収入は7万〜8万円といったところである。この収入のために、その数倍の公費負担がかかる認可保育所を、財政難に苦しむ各自治体が本気で作ろうとするだろうか?
たしかに年収103万円では所得税も住民税も取れないわけですから、自治体にとって何のメリットもないですね。

それにしても、一人の母親が稼ぐ103万円のために、600万円の税金を費やしていたのでは、トータルでは大赤字なんですが…。公立保育所を廃止して母親に直接103万円を支給する方が、何倍も安くつきますよね。ホリエモンが「社会全体の富を食いつぶしている負の労働」と呼んでいるものが、意外なところにもあるのだなと気付きました。(関連記事:『ベーシック・インカム』

当初は積立方式で始まった公的年金制度が、現在の賦課方式になった経緯について。
自民党政権下の1970年代に始まった年金受給額引き上げ、低保険料率の維持といった無計画な大盤振る舞いによって、見る見るうちに積立金は取り崩され(あるいは、本来あるべき積立金が積み上がらず)、子や孫たちに老後の生活費をまかなってもらうという自転車操業の賦課方式に陥ったのである。
そんなに昔のことだったのですね。当時の有権者ではなかった人は(私も含めて)みんな、そんな失策のツケを払わされるのは勘弁してほしいと思うはずです。

これは後世に語り継がれる民主主義の大失敗事例になるんじゃないでしょうか。市場の失敗よりはるかにたちが悪いです。40年経っても失敗から立ち直るどころか、状況は悪化の一途をたどっていますから。

本書では政府の財政破綻にも触れています。
「日本の社会保障制度は、将来への借金に依存して実施されている」ということである。
そうです。負担を将来の納税者に先送りすることで、増税や保険料の値上げをとりあえず回避しているだけです。

政治的に最もありうるシナリオは、内閣交代があったとはいえ、「借金による社会保障費再膨張路線」が今後も続くということである。
(中略)
我々はいつまで財政赤字の膨張を続けることができるのであろうか。現状はどの程度危機的であり、さらに、その先にいったいどのような事態が待っているのであろうか。
考えるだけで恐ろしいですね。

政府債務対GDP比の長期的推移.jpeg

この図を見ると、政府債務が歴史的な最高水準に達していることがわかります。2010年末には200%を超えると予想されています。

真ん中のピークは終戦直前の1944年で、199.1%だったそうです。
戦後の大インフレーションによって国債の価格が急落して、事実上、国債が償還されてしまった
という様子がはっきりとグラフに現れています。
当時、国債や銀行預金を保有していた人々にとってはまさに悪夢であったに違いないが、そうした犠牲の上に、戦後の復興は成り立っていたのである。
同じような文章が未来のWikipediaに載ることにならなければいいのですが…。
債務比率を見る限り、再び大戦争を始めたかのようである。
という表現も大げさとは思えません。

ですが、著者の予想では戦後のような国債の大暴落という最悪のシナリオではなく、
一番起こりうる可能性は、現在のギリシャのようにIMFが緊急融資を行うということである。
こうなると、まさにギリシャで起きているように、IMFによって、急激な財政改革を迫られることになるだろう。社会保障分野においては、医療費や介護費の大幅削減はもちろん、ギリシャのように年金給付額も大幅カットを迫られるに違いない。社会保障の各業界団体も、既得権を剥奪されて改革を迫られる。消費税や保険料も大幅に引き上げられる可能性が高い。当然ながら、この時点の高齢者たちは逃げ切れない。
自分が高齢者になった瞬間にこれが起こるのが、むしろ最悪のシナリオに見えます。国債大暴落で焼け野原からの復興シナリオのほうがまだマシです。

いずれにしても、現在40代以下の人は、現行の大盤振る舞いな社会保障制度を維持したまま老後を迎えられるとは考えない方がいいでしょう。私がリタイア後の資金計画に年金受給額を一切含めていないのは、このためです。

参考記事:
「強い社会保障」という偽善 - 『社会保障の「不都合な真実」』 : アゴラ - ライブドアブログ
鈴木亘(2010.7)『社会保障の「不都合な真実」』日本経済新聞出版社: 乙川乙彦の投資日記

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2010年09月23日

『 働かざるもの、飢えるべからず。』 小飼 弾 (著)



著者本人の紹介記事はこちら。
404 Blog Not Found:紹介 - 発売開始 - 働かざるもの、飢えるべからず。

本書で扱う命題は、ただひとつです。それは、社会は人のためにあるのであり、人が社会のためにあるのではない。
ということです。
その通りですね。

残念ながら日本では、
働かざるもの、食うべからず

これはすなわち、社会のために犠牲を払ったものだけが、社会から糧を受け取る資格があるということです。あまりに当たり前に聞こえるこの標語ですが、もしこれが正しいとすれば、人は社会のためにあるのであり、社会が人のためにあるのではないということになります。
こちらの考え方に支配されている人の方が圧倒的に多いように見えます。

人というのは生きていくのに必要なものをいっさい作っていません。作るのはあくまで植物であり、環境であり、自然であって、人はその上前をかすめているだけです。
(中略)
なにかを作ることを「働く」というのであれば、人はその意味では、いっさい働いていません。
(中略)
人は「母なる自然のすねをかじっている」だけ。「働かざるもの、食うべからず」が真理だとしたら、自然はとうのむかしに人類を餓死させていたはずです。
自然曰く「人は働いたことがない」。まずこのことを素直に認めましょう。
人の生産活動を突き詰めて考えていくと、こうなりますか。今までまったく考えもしなかった物の見方に、目から鱗が落ちました。

「お金持ちが使い切れなかった富を死後に還流してもらう」というのは、別の言い方をすると「相続税100%」です。現在、亡くなるお年寄りが使いきれずにつぶす財産が年間約80兆円あります。この遺産を社会の構成員に還元するシステムを作ればいいわけです。
1年間に亡くなるお年寄りの数をざっと100万人として、一人平均8000万円ですか。お年寄りはなぜこんなに多額の遺産を残すのだろうと、いつも不思議に思います。
その理由は結局これですか。
三途の川の向こうには持っていけませんから、死ぬときにゼロになるような使い方が、理想的なお金を使い方といえます。しかし、なぜお金を手放せないかというと、みんな「いつ死ぬかわからない」からです。
それにしても残す額が多すぎやしませんかね。いつ死ぬかわからないリスクをある程度ヘッジしてくれるはずの公的年金制度が信頼されていないからでしょうか。

相続税100%というのは、お年寄りが溜め込んだお金を生前に使い切るインセンティブを与える点でも、優れた発想だと思います。

いまこの不況下の解決策として「労働生産性を上げる」ということを言っている人たちがいますが、それは自分がなにを言っているのかわかっていないのです。失業対策なら「労働生産性を上げる」ではなく「働く時間を減らす」ほうが有効です。
確かに。労働時間はそのままで労働生産性を上げたら、ますます仕事の量が減りますから。
早期リタイアは「働く時間を減らす」究極の形なので、かなり有効な解決策ですね。

「努力は報われません」と、まず言わなければいけません。努力が報われる世の中はもう終わりました。
だそうです。
もう終わったというより、最初からそんな世の中じゃなかったような気もしますが。
努力教の人たちというのは、お客の立場に立っていません。「努力が報われない」と言う人がお客になったとき、「じゃあ、あなたは売っている人の努力の結果でそいつからものを買うの?」って聞いたら、やっぱり「YES」とは答えられないのです。
まあ、当然買いませんよね。そんな基準では。

いまの老人は若者を事実として搾取しています。搾取しているがゆえに、「若い人に養ってもらっているのに、好きなことをして生きるのはしのびない」という負い目もあります。そんな気持ちを抱えている老後というのは、考えてみればずいぶん暗いものです。
このような控えめな老人は少数派で、多くの老人は、若者から搾取しているという自覚すらないのが現実だと思います。むしろ、どこも悪くないのに病院通いをして健康保険を湯水のように使ったり、払った保険料以上の年金給付を受ける(元を取る)のが当然の権利だと思っているフシがあります。

なので、「相続税100%でベーシックインカム導入。生活保護、公的年金は廃止」という政策の実現には、相当高いハードルを乗り越えなくてはならないでしょう。

日本に限らず、田舎っていうのは金持ちになったらリタイアするところです。税金つっこんで過疎化を止めようとしているなんて、日本だけです。

人が救われるのであれば市町村も会社もどんどんつぶせばいい。逆は痛い。
人から収奪した税金で自治体(=社会)を救うなどという発想は、本末転倒ってことです。


後半の第2部は、スリランカ上座仏教長老のスマナサーラ氏との対談で、宗教に興味がない私にとっては正直つまらなかったですが、ところどころ共感できるところもありました。

 私たちの欲望にはきりがないのだから、そんなことは放っておいて、まずは落ち着けということです。いまあるもので幸せだ、と思ったらどうでしょうね。そうすれば問題は一発で解決するんです。
一言で言うと「足るを知る」ですね。
有限な人生の中で無限の欲望は満たせませんから、どこかに線を引いておくのもいいでしょう。

 こんなに豊かなのに皆、将来が不安で仕方ないし、年金が返ってくるかわからないし、いま仕事があるかないかとかいろいろ悩んでいる。不安なまま生きている必要はないし、もったいないと思います。
 お金がある人たちが、もっとお金が欲しいというのも面白いですが、もっと面白いのは、そんな人たちはもっと「自分に頑張らせろ」とも言っている。これは、笑っちゃうしかないですね。本当なら、お前の仕事はもう、頑張ることではなくて、もっと頑張り足りない人に譲ることだろうということだと思うのです。
要するに、さっさとリタイアしてその席空けろと(笑)。まあそんな中高年が日本には溢れかえっているようです。

計算してみても、どう考えても、日本では半分ぐらいの人は怠けていてもらわないと、職の数というのが足りません。皆が一生懸命というのは、それはそれでけっこうやばいことなんです。
最近の若者の就職難を見てると、もう十分やばいと思います。

関連記事: 『ベーシック・インカム』

参考記事:
ベーシック・インカムの導入は可能か? | ホンネの資産運用セミナー
活かす読書 働かざるもの、飢えるべからず。
小飼弾「働かざるもの、飢えるべからず。」を読んで - phaのニート日記

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2010年09月16日

自由人の生き方

最近見つけた面白いブログ。

世界の始まりとハードボイルド

少し遡って読んだ記事の中から、いくつかDeliciousにブックマークしました。

最近の記事で共感したのがこれです。
自由人の生き方・働き方|世界の始まりとハードボイルド
というより最近の僕は、自由人として生涯を全うする決意が固まっているので、必然的に考え方や生き方が、俗に言われる「生き方を定めている人」とは合わなくなって来ている。多くの場合、会社員が多い。

ということで最近の僕は思うこと。

「自由人」と「会社員・組織人」は似て非なる人種なのではないか。
まあ、会社員にもいろいろな人がいるので一概には言えませんけど、傾向としては合わないことが多いでしょうね。

自由を求め始めると、会社員はとてもじゃないけどなれない。
ほんと、そう思います。

なんで働かなければならないのか?
なんで頑張らなければいけないのか?
それらの絶対的な理由はそもそもない。

根源的な部分に立ち返ると、
そんな理由はまったく存在しないのです。

あるように思うのは、周囲の意向や、
世間の常識に刷り込まれているからなのです。
その通りだと思います。
恥ずかしながら、私がそれに気づいたのは人生の折り返し点が見えてきた頃でしたが。

そもそも、生産性の上がり過ぎた現代の社会では、
数%の人口だけで世界の生産活動が成り立つ。

そう考えると、僕が、いや、大半の新卒の学生が、
組織で何かをする必要はまったくない。

なぜなら働かなくても生きてはいける。
誰もなにも困らない。

だったら、やりたいことをやればいい。
やりたいことを仕事にすればいい。
そうですね。
働かなくても生きていけるなら、それに越したことはありません。
私が若い頃はそういう発想がなくて誰もが通るレールに乗ってしまいましたが、結果オーライだったこともあり、それほど後悔はしていません。

参照されているちきりんさんの記事がまた秀逸。
日本に起業家が少ない理由 - Chikirinの日記
縦は「自己抑制キャパシティ」、簡単に言えば「どの程度くだらんことに耐えられるか」ということ。

たとえば、23才から60才過ぎまで40年間、毎日1時間以上をラッシュの地下鉄でぎゅうぎゅうにもまれる人生に「耐えられるか」とか、

同じく雨の日も雪の日も二日酔いの日も子供が病気の日も気温が40度の日も「ネクタイにスーツジャケットに革靴」でそういう電車に乗るっていう生活に「耐えられるか」と。

超くだらんことをいう、いかにも能力も時代への適応力もない上司が自分の倍の給与を貰っていても「まあそんなもんだ」と納得し、自分がそういう立場になるまで「20年間待てるか?」とか、

「こんな資料、絶対誰も読み直さないよな」と確信できる会議の議事録を何時間もかけて作り、課長に“てにをは”を直されては素直に修正し、部長に印刷がずれてると言われてはインデントの設定をやり直す、みたいなことを「来る日も来る日もやり続けられるか」みたいなこと。

そういうのが余り苦にならず耐えられる人は「自己抑制キャパシティ」が大きいと思う。我慢強い。
会社員生活を長く経験した人にとって、本当に恐ろしいほどリアリティがある話ではないでしょうか。

仕事が好きとは言わないまでも、こういうのがあまり苦にならないタイプの人なら、お金があっても早期リタイアしないのは不思議ではないです。私にはそういう我慢強さが欠けているので、先日の記事で書いたことは明らかに想像力不足でした。すみません。

つくづく私は「自己抑制キャパシティ」が小さい人間だという自覚を新たにしました。それにもかかわらず十数年間の会社員生活を続けることができたのは、幸運にも比較的良い会社、良い上司、良い同僚などに恵まれたおかげで、強いられる我慢の程度がかなり低かったからでしょう。少なくとも、努力して我慢を続けたわけではないことだけは断言できます。

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2010年09月13日

お金があれば早期リタイアするか?

もちろんリタイアします。というか、しました。

お金があれば隠居しますか? 【 カウンターゲーム 】より:
将来への金銭的な「不安」や社会から離れるような感覚の「不安」・・・こういうモノがリタイヤ後の生活に付き纏いそうな感じがするのですが実際にリタイヤした人はどうなのでしょうか?
金銭的な「不安」は、心の片隅にはあります。未来は冷酷なほど不確実で、今持っている資産が寿命よりも先に尽きてしまわないという保証はどこにもありませんからね。

でもそういう感情の大きさって、結局は性格次第じゃないですかね。客観的にまったく同じ状況に置かれても、とことん不安に感じる人から底抜けに楽観的な人まで、いろんな人がいます。幸い私の場合は楽観的なほうなので、金銭的不安が生活に付き纏っているとまで感じたことはありません。

それに、単に「不安があるから〜しない」という手っ取り早い思考パターンは、結果オーライなこともありますが、正しくないことも少なくありません。
例: 墜落しないという保証はないから飛行機で移動するのは不安だ ⇒ 車で移動すれば安心
(関連記事:『リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理』

人は本能的に不安を感じやすい生き物なので、少し楽観的なほうに寄っているぐらいでちょうどいいんじゃないかと思っています。

あと、「社会から離れるような感覚の不安」と書かれていますけど、それも私にはない感覚です。現役時代から「会社=社会」な人間ではなく、会社の外にいる人達ともつながりはありました。リタイアすることによって、会社でビジネス上の付き合いのみだった人たちとのつながりが切れただけです。なので、リタイアしたら社会から離れるという感覚が私にはよくわかりません。

まだ若い頃、仕事を辞めて次の職場を探すまでの間、およそ1ヶ月程度ですが車ひとつでチョットした旅にでました
宮崎県や鹿児島あたりまでの旅で海岸沿いに車を停めて寝たりして・・・。
でも最後の方は楽しさや新鮮さよりも・・・そろそろ帰ろうかなぁ・・・なんて考えたりした記憶があります
まあ、1ヶ月も家を離れると確かに帰りたくなりますね。やっぱり我が家が一番快適ですから。
でも、職場に戻りたいなんて考えたことは一度もないです。長期休暇が終わりに近づいたときも、この休暇がずっと続けばいいのにと思いました。

現在も、労働は私のやりたくないことリストの筆頭に居座り続けています。

結局、リタイアして幸せになれるかどうかは、不安のあるなしよりも、どれだけ仕事が好きかに依るんじゃないかと思います。余暇よりも仕事が好きな人にとっては、リタイアしたって何も良いことはないでしょう。

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