2015年01月30日

『臆病者のための億万長者入門』 橘 玲(著) その6



p.206-207
国民年金は、所得にかかわらず60歳まで定額を積立て、65歳から定額の年金を受け取る。こうしたシンプルな仕組みのため、国民年金の加入者は電卓を叩くだけで損得を計算できる。
(中略)
現在の制度がこのまま継続するならば、男性は払った掛け金の1.4倍、女性は2.1倍が戻ってくる計算になる。
これを利回りに換算すると、国民年金は男性で年利1.48%、女性で年利2.44%に相当する。
このような理由で国民年金が有利な金融商品であると結論付ける橘氏の持論は、以前から一貫していますね。

この理屈には弱点が二つあると思います。

一つは、「現在の制度がこのまま継続するならば」という前提。
55年前の発足当初は完全積立方式でスタートしたのがいつの間にか賦課方式に変わっていたり、任意加入だったのが強制加入になったり、当時150円だった保険料がインフレ率を遥かに上回る100倍に上昇したり、マクロ経済スライドというわかりにくい名前の自動給付削減装置が導入されたり。年金制度の歴史は数々の改悪を積み重ねてきた歴史と言えます。歴史に学ぶなら、現行制度が20年後、30年後までこのまま継続すると期待するのは無理があるでしょう。賦課方式という致命的欠陥を治さない限り、負担は増える一方だが給付は減る一方という収支改悪が際限なく続く未来を容易に想像できます。

もう一つは、計算した数字がすべて名目利回りであること。
仮に現行制度がこのまま継続するという期待が正しかったとしても、今後のインフレ率次第で実質利回りは大きく変わります。たとえば1950年から1980年の30年で物価は6倍に上昇していますが、この程度の高率インフレ時代が再び到来すればマクロ経済スライドが発動しまくって、30年後の年金給付額は現在の3倍程度に抑制されるというシナリオも考えられます。実質では現在の半額になるわけで、実質利回りは大幅なマイナスとなります。政府がインフレ誘導に躍起になっているのは、まさにこういうシナリオを狙ってのことだと思うのですが。

(つづく?)

追記: 以上の理由から、国民年金が将来の受給者にとって有利な金融商品であるかどうかは、電卓をたたくだけで簡単に判断できるような性質のものではなく、将来の不確定要素が大きすぎて現時点では「わからない」としか言えないと思います。

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2015年01月25日

『臆病者のための億万長者入門』 橘 玲(著) その5



p.169
投資はギャンブルの一種で、合理的な投資家が常に勝者になるとは限らず、勘違いが大きな成功を生むこともある。だが最後には、不合理な投資家は淘汰され消えていく(たぶん)。
金融市場というのは、ようするにそういうところなのだ。
概ね同意。
金融市場がリターンの高さを競う競技場だとすると、誰よりも高いリターンを叩き出す優勝者は常に、不合理な投資家の中から出てくるはずです。
宝くじを買うような不合理な人の中からしか、3億円を当てるという最高のリターンをあげる優勝者が出てこないのと同じことです。合理的な人は宝くじを買わないので絶対に優勝できません。

投資家はアスリートとは違って、ナンバーワンになるという目標を持つ必要はありません。むしろ他者と競って勝つことを意識すればするほど、不合理な投資家になってゆくと思います。

p.190-192
資産運用本の多くは株式と不動産を同じような投資対象と説明しているが、この二つの「市場」はまったくの別物だ。
(中略)
思いつくままに挙げてみたが、これだけでも株式取引に比べて不動産取引がいかに不利かわかるだろう。
同意。
現物不動産は取引コスト以外にも管理コストが高すぎて割に合わないでしょう。不動産という資産クラスがどうしても必要なら市場でREITが買えますし。
「市場価格」が存在しないという意味では、ファンド化されていない生債券などにも手を出したくはないですね。

p.197-198
不動産投資のノウハウというのは、けっきょくのところ「いかにしてインサイダーになるか」ということに尽きるのだ。
不動産市場では情報の分布はインサイダーとアウトサイダーに二極化している。インサイダーが鼻もひっかけない物件だけがアウトサイダー、すなわち一般顧客に回されるのだ。こうした市場の構造から、素人が「掘り出し物」の物件を見つけるのは原理的に不可能だとわかる。自分が有利な取引をしたと思っても、それはただの勘違いだ。
同意。
現物不動産は株式よりも遥かに玄人向けの投資対象なのに、「不動産投資で不労所得を!」みたいな胡散臭い誘惑が巷に溢れているので気をつけましょう。

こういう話をきくたびに、投資のプロがサルに負けることもある株式市場って本当に素晴らしいところだなと思います。

(つづく)

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2015年01月22日

『臆病者のための億万長者入門』 橘 玲(著) その4



p.121
資産運用の肝は分散投資だと、どの入門書にも書いてある。どんな優良銘柄でも、一銘柄に全財産を投資するのは愚の骨頂だ。
その通りです。

p.124
資産運用において、「よく知っている」ことにはほとんど意味がない。ベテランの投資家なら、大きな成功は「よくわからず適当に買った株」からもたらされることを知っているはずだ。
同意。
私が保有しているETFも、「よく知っている」会社の株に投資したいという人が買うには抵抗があるに違いありません。たとえばVTIを買うと、間接的に米国株式3772銘柄を分散保有することになるわけですが、そのうち「よく知っている」会社なんて何社あるでしょう。大部分の会社は名前すら聞いたことがないはずです。

p.127
日本の株式市場の時価総額は、中国市場(上海+深圳)にも抜かれ、世界3位に後退した。しかしホームバイアスを増長させるさまざまな要因によって、日本の投資家の多くは、世界の株式市場の6%強しかない日本市場という「カゴ」にタマゴのすべてを盛りつづけているのだ。
ホームバイアスは日本人だけでなく人類共通の思考の癖なんですが、自国市場が小さい国民ほどそのリスクが際立ってしまいます。たとえばアメリカ人ならば、米国市場という「カゴ」にタマゴのすべてを盛りつづけたとしても世界の株式市場の35%をカバーしているので、はるかにリスクが小さいでしょう。

いずれにせよ、住んでいる場所、よく行く馴染みの国などの地理的しがらみから完全に離れて、衛星軌道上から地球を眺める視点が重要です。

p.129-130
ヒトの脳は、「損すること」をものすごく嫌うようにできている。そしてこのことが、資産運用の判断を歪める大きな原因になる。
(中略)
この問題の真っ当な回答は、認知の歪みを修正して、損と得を同じように評価することだ。
その通りです。
これ以外にどんな答があるのだろうかと思います。

p.131
だがこの方法は、不可能とはいわないまでも、私たち凡人にはきわめて難しい。
(中略)
ヒトが得よりも損を強く意識するのは、長い進化の過程のなかで脳がそのように作られているからだ。
認知の歪みを修正することがそんなに難しいことでしょうか。

長い進化の過程で形成された認知の歪みのわかりやすい例として、次のような錯視パターンが有名です。
MLadjusts.jpg

この図を見て、「上の線分より下の線分の方が長い」と、脳が感じるままに答える現代人は少ないでしょう。なぜなら、それが錯視であることを「知っている」からです。人類は知ることによってさまざまな認知の歪みを修正してきた実績があります。

利得に鈍感で損失に敏感な認知の歪みもそのうちの一つであり、錯視と違ってまだ多くの人に知られていない段階だから修正が難しいと勘違いされているような気がします。
ただの錯視とは異なり、修正後は修正前よりかなり経済合理的に振る舞うことができそうです。「凡人」には修正できないと諦めてしまうのではなく、その凡人から脱するためにはどうすればいいのか考え続けることが重要だと思います。

(つづく)

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2015年01月20日

『臆病者のための億万長者入門』 橘 玲(著) その3



(業務連絡)Y Mさんコメントの承認が遅れました。申し訳ありません。コメントの通知がメールで来る設定にしているのですが、たまに迷惑メールフォルダに入ることがあるようです。グーグルも筆の誤り。今後も承認が遅れることがあるかもしれませんが、どうか気長にお待ちいただければと思います。

p.97
どの株が上がってどの株が下落するかわからないなら、合理的な投資家には次のふたつの選択肢しかない。
@なにもしない
A銘柄選択をやめて株式市場をまるごと購入する
@の選択は全資産を円預金で持つ、すなわち卵を一つの籠に盛ることになるので、本当にそれが合理的なのかどうかは疑問が残ります。
この選択は、どちらが正しいということはない。
と書いてあるものの、自らのリスク許容度に応じて資産の一部または全部をAで運用することが合理的な選択になると思います。

p.117
@株式市場は複雑系のスモールワールドで、誰も未来を知ることはできない。とりわけ、大暴落のような出来事は事前に予測できない。
A米国市場の株価は1980年からの20年で10倍以上になったが、このような「黄金時代」は(おそらく)終わってしまった。
B個人投資家は株式市場の中でもっともリスク耐性が低い。すなわち、“臆病者”であるべきだ。

この3つを前提とするならば、個人投資家にとってもっとも合理的な投資法がひとつだけ存在することがわかる。それは、「暴落を待って、株価が回復するまでドルコスト平均法で分散投資すること」だ。
前提3つはまあいいとして、結論は間違っていると思います。

おそらく、
リスク耐性が低いから大暴落には耐えられない → 大暴落のダメージを避けるにはどうすべきか?
この思考経路で「暴落を待って」という発想が出てきたと想像しますが、暴落を待っている間に株価がどんどん上がってしまったらどうするのでしょうね。待つことが裏目に出る可能性も十分に考えられます。

ドルコスト平均法の利点は、株価が暴落しても暴騰しても淡々と一定金額を買い続けることで時間分散効果が見込めることなのに、買いのタイミングを見計らう行為によってその利点を殺してどうするのかなと。

(つづく)

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2015年01月16日

『臆病者のための億万長者入門』 橘 玲(著) その2



p.46
宝くじがなぜ国家の独占事業かというと、それがきわめて効率のいい、“ぼったくり”だからだ。ところが世の中にはこの仕組みを理解できないひとがいる。それも、ものすごくたくさん。
(中略)
このようにして私たちは、ほとんど起こらないことを、あたかも頻繁に起こるかのように錯覚してしまう。ひとは確率的な出来事を正しく把握するのが苦手なのだ。
まさに愚か者だけが支払う税金。
数学なんて何の役に立つのかわからないと思いながらやってる中学生諸君。最低限、確率と期待値の勉強だけでもしっかりやっておくと、大人になってから余分な税金を払わなくて済むかもしれませんよ。

宝くじが本物の税金と決定的に異なるのは、支払いが強制ではなく任意である点です。自ら進んでぼったくられる人が「ものすごくたくさん」いるのであれば、この錯覚をもっとうまく利用して本物の税金の代わりにすればいいのではないかと思ったりもします。

p.48
もしあなたが宝くじに大金を払っているのなら、資産運用に成功することは永遠にないだろう。
宝くじでも超低確率の高額当選を引くラッキーな人が確実に存在するように、いい加減な資産運用をしてまぐれ当たりをする人も確実にいると思います。なので、結果だけ見れば「成功することもたまにある」ことになります。

重要なのはそれがただの結果オーライであることを理解しているかどうかです。理解している人なら、まぐれ当たりが出たらそこでやめるはずです。しかし大抵の人は理解してないので、同じやり方で今度は失敗する。そういうことを繰り返しているうちに資産はどんどん減っていく。こういう現象を「資産運用に成功することは永遠にないだろう」と表現しているのであれば、確かにその通りだと思います。

投資においてもっとも大事なのは、損しないことではなく騙されないことだ。
そうですね。騙されないことは当たり前すぎて今さら言われなくても…ですが、「損しないこと」が比較的大事ではないというのは、ちょっと意外に聞こえるかもしれないですね。

儲けるためにはリスクを取らなくてはならず、リスクを取れば損することもある。投資に損失はつきものだが、それはリスク分散で管理できる――資産運用理論というのは要するにこういうことだ。
ここは「儲けるためには」という表現が惜しい。その1で引用した「資産運用は金儲けの手段ではなく」と矛盾が生じるので。

人生全体を俯瞰してその経済的なリスクを分散して最適化するためには、個々の投資で損をするリスクを取ることは不可避、ということだと思います。

「リスクを抑えるためにリスクを取る」という概念が一見わかりにくいのですけど、こちらの記事を読めば理解の助けになるかもしれません。
参考記事:

(つづく)

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2015年01月12日

『臆病者のための億万長者入門』 橘 玲(著) その1



図書館で予約してから数ヶ月待ちでやっと回ってきました。

「はじめに」から引用。
資産運用は金儲けの手段ではなく、人生における経済的なリスクを管理するためにある。
その通りです。

ネット上でも時々「結果的に儲かればどんな手法で資産運用しても構わない」みたいな乱暴な意見が見られるのは、資産運用の「金儲け」という側面にしか着目していないからでしょう。上記のような本来の目的に照らせば、これは非常に危うい考え方です。ただの結果オーライでしかないものを、手法の正しさと勘違いするほど恐ろしいことはありません。

p.19
資産とは収入の多寡によって決まるのではなく、収入と支出の差額から生み出されるものなのだ。
これもその通り。
リタイア志向の人にとっては常識中の常識ですね。

p.29
私たちはみな1億円を超える人的資本を持って働きはじめるが、労働市場から退出すると、その価値はゼロになる。大学を卒業して数年間働き、結婚して専業主婦になると1億円を超える人的資本をドブに捨てることになる。これは経済学的にはきわめて不利な選択だが、それにもかかわらず日本では専業主婦に憧れる若い女性が多いのは驚くべきことだ。
この橘氏の考え方に倣えば、早期リタイアする場合も同様に多額の人的資本を「ドブに捨てる」ことになるようです。

ですが、私は以前から人的資本は明らかに金融資本とは質の異なるものだと指摘しています。
関連記事: 「サラリーマン債券」は債券ではない

「労働市場に人的資本を投入する」とまるで経済学者のように言ってみたところで、実際にやっていることは要するに自分の人生の時間を切り売りしてお金に換えているだけです。

労働に消費される時間的損失を正しく計上すれば、労働市場から早期退出することが「経済学的にはきわめて不利な選択だ」なんて、とても言えるものではないと思います。

p.31
私たちは金融資本の運用よりも先に、人的資本の運用を真剣に考えなければならない。これが「資産運用」の第一の原則だ。
ということで、ここは不同意。
両者は並び立つ原則ではなく質的にまったく別の事柄であり、資産運用について考える時に「人的資本」を持ち出すのはむしろ有害であると私は考えます。

特に第1章の締めの言葉:
これからは「可能なかぎり長く働く(社会に参画する)」という生き方が人生の新しい価値になるのだ。
これは酷い。
これが「年金問題をもっとも簡単に解決する方法」だそうで。

とは言え、本書で明らかに変だと思ったのはここだけでした。時間がなければ第1章だけ読み飛ばせばいいでしょう。

(つづく)

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