2017年06月26日

「ザ・ノンフィクション 会社と家族にサヨナラ…ニートの先の幸せ 後編」



前編に引き続き良い感じです。
全体的に見てphaさんよりも小林銅蟲さんの方が主役でした。

ギークハウス、遊びに行くだけなら面白そうですが、あそこに住みたいとは思わないですね。人も物も多すぎて狭苦しいのが私には無理です。せっかくの引っ越しの機会に断捨離すればよかったのに…。

彼らは最早ニートではないとか、ニートの定義にこだわっている人もいるようですが、そこは重要なポイントじゃありません。タイトルもニートの「先の」幸せですから。

彼らのように会社や家族に縛られることなく各自の幸せを追求する生き方も普通に存在するという事実が、テレビという旧来のメディアに乗って伝えられたのは良かったと思います。放送が関東ローカルなのがもったいないぐらいです。

今回のシリーズは放送内容そのものよりも、放送を見た人たちの反応の方が興味深いものでした。こうも評価が二分するとは思ってもみませんでしたので。

ツイッターには相変わらずネガコメが溢れていますが、ポジティブなコメントも少なくはありません。わざわざネガコメだけを抜粋しているまとめサイトには悪意しか感じないですね。

共感したツイートを抜粋しておきます。








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2017年06月23日

それ、「押し付け」でも何でもないから

ダイヤモンド・オンラインの記事より。
結婚宣言をしたことで、ファンから壮絶なバッシングを受けているNMB48の須藤凜々花さん。日本のアイドルは伝統的に恋愛を謳歌することが認められないが、これは世界的に見て特異な文化だ。なぜこんなことになっているのだろうか?
diamond.jp
芸能ニュースには疎いのですが、ツイッターのTLを眺めていると嫌でもこういう記事が目に入ってきます。アイドルがやらかしたことが話題になっているようですね。

無駄に長い記事を簡潔にまとめると、「禁欲を押し付ける」ファンの方が異常なのであり、アイドルは異常者たちの犠牲者なんだそうです。

いやいや、それはおかしいでしょ。

そもそもファンを含めて禁欲を「押し付け」ている人はどこにもいません。アイドルグループに加入するときの契約(雇用なのか業務委託なのか知りませんけど)の条件の一つに恋愛禁止条項があって、契約当事者双方が合意の上で契約が成立しているわけで。

気に入らなければ契約しないのも自由、禁止条項を外すように個別に交渉するのも自由、恋愛もできないAKBなんか脱退してソロで活動したり、恋愛自由を謳うアイドルグループを結成するのも自由です。数多の選択肢がある中で、禁止条項付きの契約を自ら選択したのです。当事者の契約違反の責任を棚に上げて、周囲からの「押し付け」のせいでこうなったと主張するのは無理筋というものでしょう。

この記事に限らず、「押し付け」や「強いる」のような強制を意味する言葉が、全く強制のないところで使われているのをよく見かけます。

たとえばこちらの連載タイトル。
ボクらは「貧困強制社会」を生きているの記事一覧。
toyokeizai.net
「貧困強制社会」と言いつつ、誰が何を「強制」しているのか意味不明な記事ばかりが並んでいます。

政府が国民に重税を強制しているせいで貧困になっているという意味ならその通りだと思うんですが、そのような問題提議ではなさそうです。

関連ツイート:


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2017年06月19日

「ザ・ノンフィクション 会社と家族にサヨナラ…ニートの先の幸せ 前編」



3年前に放送された前回とは違って、なかなか良い感じの番組でした。一つ気になったのは、一戸建てを5人でシェアして1人4万円って高くないですか? やっぱ東京は弱者が住む街じゃないなと思いました。

経済的弱者同士が寄り集まることで生活コストを抑え、有志からの私的な支援に支えられながら幸せそうに暮らしているのを見ていると、こっちまで幸せな気持ちになります。そこにある協力関係は全て任意のもので、誰かに何かを強制した上に成り立っているものではない点が素晴らしいと思います。

ところが動画のコメントに酷いものが目立ちます。評価順で最上位のコメントがこんなのですよ。
怒られたくない、早起きしたくない、打たれ弱いから働けない、自由に生きたい、家族との関係から逃げたい?

彼女や家族に支えられ、ネットを通じて人からものやお金を恵んで貰い、収入を考えるとおそらく国民年金保険料免除制度(年金を払わなくても年金がもらえる制度です)などを申請しているでしょうし、貯蓄のない老後は生活保護を受給し正規年金受給者より安定した金額を貰う。

自由を謳うなら、あれこれ自分に言い訳せず、苦手と言い切る社会に支えて貰うのはやめて欲しい。

こんな積極的ニートに汗水垂らして納めた税金使って欲しくない。
「社会に支えて貰う」つもりなら真っ先に生活保護申請してるはずでは? 前編を見る限り、税金に頼る生き方を紹介している番組ではありません。とんだ言いがかりだと思います。

彼らは彼らなりに苦労しながら、「社会」の世話にはなるまいと自発的に互恵関係を構築したり有志の寄付を獲得しながら、あくまでも私的領域で各自の幸福を追求しているだけなのに…。彼らが頼んでもいないのに「税金」がどうのこうのと、公的領域の問題を持ち出してきて騒ぎ立てるのは的外れだと思います。

このまとめも色々と酷いですね。このようなネガコメの多さに驚くばかりです。やれやれ…。
ザ・ノンフィクション 会社と家族にサヨナラ・・・ニートの先の幸せ 社会的弱者の自己弁護は容認されるべきか? ザ・ノンフィクション - フジテレビhttp://www.fujitv.co.jp/th...
sharetube.jp


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2017年06月16日

『利己主義という気概ーエゴイズムを積極的に肯定する』 アイン・ランド(著)



今は絶版になっているのでしょうか、アマゾンの最安値は4,708円になっています。もちろん私は図書館で借りました。

アイン・ランドはロシア出身のアメリカ人作家で、オブジェクティビズム(客観主義)という聞き慣れない名前の思想を創った人です。

本書では一貫して「客観主義」という訳語を採用していますが、客観主義でググると主に刑法の用語が上位に出てきて紛らわしいので、オブジェクティビズムと呼びます。

オブジェクティビズムは古典的自由主義やリバタリアニズムとの共通点も多く、その部分はすんなり理解できたものの、特に前半に難解なところが多くてかなり読み飛ばしました。

p.183
どんな人間にも、他人に対して、彼や彼女が選択してもいない義務を課す権利などない。報酬のない仕事をさせる権利もなければ、強制的な奉仕を課す権利もない。「他人を奴隷にする権利」などというものはない。
権利というものは、他人による権利の物質的実行、つまり強制というものを含まない。
p.185
次のことはきちんと覚えておいていただきたい。権利とは、人間の行動の自由を定義し保護するが、他人に対しては何の義務も強制しない道徳的原則である。
自由主義の土台になる重要な定義です。厳密に言うと「何の義務も強制しない」わけではなく、「他者侵害しない義務」や「合意した契約の履行義務」だけは強制します。

アイン・ランドが言う「権利」とはつまり、自由権だけを指していて、それ以外のものを「権利」と呼んで主張したり保護したりすることはできないと言っているようです。

実際に、今の世の中で使われている「権利」や「人権」という言葉の中には、上記の定義を満たしていないものが多くあります。先日ちらっと言及した「社会権」もその一つです。

社会権の代表格である生存権を例に考えてみます。
生存権 - Wikipediaより。
生存権(せいぞんけん、フランス語: droit à la vie、ドイツ語: Recht auf Leben、英語: right to life)とは、人間が人間らしく生きるのに必要な諸条件の確保を、国家に要求する権利[1]。
「国家に要求する」とありますが国家の財源は国民に課す税金ですから、「他人に要求する」のと同義です。これは、アイン・ランドが言うところの「他人に対して、彼や彼女が選択してもいない義務を課す」行為に当たります。そんな「権利」などないというアイン・ランドの意見に同意します。

権利の数や種類は多ければ多いほどよいというものではありません。あれもこれも権利だと言って保護を求め始めると必然的に自由権との衝突は避けられなくなりますし、どうやって権利同士を調整するのかという問題が発生し、公権力が介入してくる隙ができます。そしていま日本で現実に起こっていることは、政府が各種社会権の保障(生活保護、健康保険、年金、介護、保育など)を口実にして自由権の侵害を拡大する悪夢のようなシナリオです。

もしシンプルに自由権だけを保障する世の中だったとしたら衝突は起こりません。自由権の中に「他者の自由権を侵害しない」という衝突回避のルールが内包されているからです。権利の衝突がなければ政府が余計な裁量権を持つこともなく、意思に反して個人の財産が奪われることがない理想的な社会になると思います。

関連ツイート:


参考記事:
Ayn Rand, The Virtue of Selfishness : A New Concept of Egoismの邦訳。サンデルブームもあって、日本でも「リバタリアニズム」という言葉がようやく知られるようになった。本書の著者であるアイン・ランドはリバタリアニズムの誕生に多大な貢献をした作家、哲学者として知られる。彼女の徹底した個人主義・自由主義の思想は、直接・間接を問わずノージック、ロスバード、ブロックそしてD・フリードマンといった主要なリバタリアン理論家に圧倒的な影響を与えた。前FRB議長だったアラン・グリーンスパンがランドの忠実な弟子だったのは有名な話だ(「肩をすくめるアラン」)…
slumlord.hatenablog.com



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2017年06月03日

ブログ開設9周年

当ブログ満9歳の誕生日を迎えました。
40歳で早期リタイアしてから早くも10年が経過し、ついに50代に突入。
最新の生命表によると、50歳男性が50代のうちに死亡する確率は
(96006-91308)/96006=4.9%
もあります。

この数字を見ると、老化によって病気や死のリスクが着実に増えていることを実感しないわけにはいきません。これからも毎日、悔いのないように自由な人生を楽しみたいと思います。

一年前の記事。
当ブログ満8歳の誕生日を迎えました。 1年前の記事はこちら。 ブロク開設7周年当ブログ…
koutou-yumin.seesaa.net


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2017年06月02日

自己責任を主張すると病人扱いされ、見当違いなクスリが処方される件

望月優大さんのブログより。
本田圭佑氏のツイートが話題になっていた。若い世代の自殺に関するニュースを取り上げて「他人のせいにするな!政治のせいにするな!!」と吼えている。ああ、このツイートは見たくなかった。好きなサッカー選手であるだけに個人的には残念な気持ちになった。…
hirokimochizuki.hatenablog.com
ツイッターの反応を見ると大好評なのですが、読んでみると全く同意できるような内容ではありませんでした。

そもそも本田圭佑さんのツイートからして意味不明なんですがね。若者の死因で自殺が最多であるというニュースを見て「他人のせいにするな!」って文脈的におかしいでしょ。でも自殺の文脈から切り離して眺めてみると、政治はともかく他人のせいにするなってのは至極真っ当なご意見だと思います。

自分は自分の力で頑張ってきたんだという強い自意識があるから、社会的な弱者に対して「他人のせいにするな」と平気な顔で言い放ってしまう。自分が成功したのは自分ががんばったから、そして、他人が成功しなかったのは他人ががんばらなかったから。あまりにも単純で、あまりにも狭い。物事の複雑な因果を一つの偏狭な図式に当てはめて理解し、それによって成功者としての自分の過去に肯定的な価値を与える。
成功者ならみんなこう考えているに違いないというストーリーですね。これこそ発言者の属性に囚われた「偏狭な図式」と呼ぶに相応しいものです。「成功者」への著しい偏見に満ちていると感じます。

成功や失敗の過程で頑張ったとか頑張らなかったとか、どうでもいいことだと思います。頑張りの有無によって、誰のせいにするかが変わるんですか? 頑張っても失敗してしまった場合、他人のせいにしてもよいのですか?

今日もまた一人、また一人と、成功者たちが「自己責任論」のダークサイドに墜ちていく。
自己責任というのは自由と表裏一体で、他者侵害の禁止から自然に導かれるだけの消極的な原則にすぎません。たとえば「俺が成功しないのはお前の責任だから何とかしろ!」と言いがかりを付けてくるような侵害行為に対して、「自己責任でしょ」と言って防衛する場合、ダークサイドなのは一体どっちなのかという話です。

この記事のタイトルにある「自己責任を求める成功者」という表現からして既に奇妙に見えます。本来なら自己責任は積極的に「求める」ようなものではないからです。「自己責任を求める」レベルまで踏み込まざるを得ないのは、この国では他者を侵害する側の「権利」(社会権)を主張する輩の声がやたら大きく、隙あらば「弱者を助ける」ことを強制してくるからです。

で、出てきたクスリとやらがこれ。
この国には、自分一人の力で富を得たものは一人もいません。一人も!あなたが自分で工場を建てた。いいでしょう。 ただ、明確にしておきたいと思います。あなたの商品を市場に運ぶための道路、この道路は残りの私たちがお金を出し合ってつくったものです。あなたが雇う労働者たち、彼らに対する教育も残りの私たちがお金を出し合って提供したものです。
富を獲得した成功者はみんな「自分一人の力で」それを成し遂げたつもりになっている、という勝手なイメージを膨らませているようですが、事実は全く逆で、市場経済の下で投資家、労働者、消費者などの大勢の他人と必要なものを自発的に交換し合うことによって富を得たはずなんですけど?

道路や教育に税金が使われているからって、それがどうしたというのでしょう。受益者負担の構造になっていないのならそれは事業主である政府の責任だし、もし政府が経済に介入していなければ、代わりに民間企業が必要なサービスを提供していただけのことです。それを規制している張本人である政治家がいったい何を言っているのかと。

いずれにせよ、「他者侵害をしない」という意味の自己責任論とは関係のない話です。

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